なないろの世界

日々の中で感じたこと。気持ちとか、出来事とか。つらつら書き綴っています。自分でも気づかないうちに、きっと今日も、世界がなないろに染まる。

伸ばした手が届くまで。①

思い返してみても、好きになったきっかけはなんだったのか、もうよくわからない。

ただ、気づいた時には追いかけてた、ただひたすらに。

 

 

これは、私が片想い7年目にしてやっと掴み取った大好きな大好きな人の話です。

 

 

 

 

弟の友達のお兄ちゃん。

私とは2歳差で、保育園、小学校、中学校の先輩。

親同士は飲み友なほど仲良し。

家は徒歩5分の距離。

 

考えれば考えるほど、なかなかに近くにいたんじゃないかって、思える。

でも、わたしには誰よりも、なによりも遠い存在だった。

 

 

小学校の頃に遊んだり話したりした記憶は、今はほとんどなくて、ただ漠然とした記憶として残っているのは、とても優しかったということ。弟の同級生である妹ちゃんを溺愛していて、毎年届く年賀状は、2人が仲良さげにくっついている写真ばかりだった。

同じ長子なのに、わたしはこんなふうに弟や妹に優しくできてないような気がして、自分の言動を見直さなきゃって思っていたし、同時に、そんなふうに素敵なお兄ちゃんをしている先輩を尊敬していた。

 

でも多分、今思うと、あの時感じていた感情は、自分への恥じらいとか先輩への尊敬とか、そんなものではなくて、羨ましさだったと思う。

先輩の妹が、ただひたすらに羨ましくて、あの目線、あの愛情が自分に向いたらどんなにいいだろうって。

姉として生まれた自分にはない、兄の存在が、とてつもなく羨ましかった。

 

あんなお兄ちゃんが欲しい。

私が、もうどうしたって叶うわけのない、そんな願いをお母さんに言い始めたのは多分、先輩のせいだ。

 

 

 

中学に入学して、3年生の先輩と、1年生の私は、そこで初めてしっかりと再会した。

お互いをはっきりと認識したのも、多分その時だった。

 

後から聞いた話によると、先輩が中1の時に、小学校に登校中の、それはそれは元気な私を、毎朝見かけていたらしい。

会うと、いつもしっかり挨拶していた私を、いい子だなぁと思ってみてくれていたとか。

なにそれ、なんでそんな最高な思い出になりそうな記憶を私はこれっぽっちも憶えていないの…。

 

中学に入って話す機会が格段に増えたのは、登下校の時間があったからだと思う。

陸上部の私も、バスケ部の先輩も、朝練があったから、割と多い頻度で、登校が重なって、そうするといつも話しながら学校に行ってくれた。

帰りの時間も重なることが多くて、そうすると一緒に帰ってくれたし、最初はタメで話すか敬語にすべきか迷っていたけど、気づいたらガンガン話している自分がいて。

家を出て、先輩と合流する地点で、いつもワクワクとドキドキと、なんとも言えない感情でその曲がり角を見ていたのはよく憶えてるな。

長い坂を下るときに、ずっと先に先輩の姿が見えた時は、迷いもせずダッシュして、おはよーーーーーっっっ、って追いかけた。

そしたら数日後、私が坂を下っていたら、同じように先輩が後ろから追いかけてきてくれた。

ものすごく、ものすごくものすごく嬉しかった。

 

 

中学に入って変わったことは他にもある。

先輩の周りの人や、先輩の人柄を知る機会が増えたこと。

というかむしろそれまでは、妹ちゃんや妹ちゃんの友達、つまり、先輩より遥かに小さい子供たちといる時の先輩しか、知らなかった。

 

同級生や後輩といる時の先輩は、優しくてかっこいい先輩そのもの。

男の先輩たちとじゃれ合う姿、女の先輩たちと楽しそうに話してる姿、バスケ部の後輩男子に囲まれて、馬鹿にされたりしたりしながら居残ってる姿。

いつも先輩の周りには誰かがいて、人に囲まれている先輩は人望があるんだろうなって、すぐにわかった。

私が憧れていた陸上部の部長さんとも仲が良くて、いいなぁって思ったり。

どっちに対してだろ?多分どっちに対しても羨ましかったんだろうな。

 

 

そんな先輩を見ているうちにね。

気づいちゃったの。

わたしなんかが、届くはずのない存在なんだって。

 

中学1年生から見た3年生は本当に大きくて、大人で。

まだ、先輩後輩の上下関係の世界に飛び込んだばかりの私が、部活動が始まったばかり、デビュー戦の試合を経験したばかり、期末テストを経験したばかり、生徒会活動に参加したばかりの、中学1年生の私が。

部活動引退目前で、受験期がどんどん近づいていて、生徒会も代替わりで、全てが中学最後になる先輩に、追いつけるわけなくて。

 

隣に並びたいだなんて、思ったって叶うわけがなかった。

 

女子の先輩たちが本当に羨ましかったのを憶えている。

なんの抵抗も戸惑いも引け目もなく、ただ一つ、年齢が同じというだけで、先輩の隣に並べるということ。

それがどれほどの特権であることか、何にも気づいていない、先輩の周りにいる女の先輩たちが、ものすごく羨ましくて、同時に妬ましくて、悔しくて、悲しかった。

 

わたしを可愛がってくれるのは、話しかけてくれるのは、小さい頃からの知り合いだからというだけ。それ以上のなんでもない。

ただ、後輩として仲良くしてくれているだけ。

ほんの少しでも意識してくれたらって思っても、そんなの気づいてさえくれない。

後輩であることのハンデは、ほんの2歳差というその数に対して、とてつもなく大きかった。

 

 

それを何よりも実感したのが、体育祭だった。

 

中学初めての体育祭。

学級委員として、学年委員として、初めて臨んだ体育祭で、先輩はなんと私の組の紅組応援団長を務めた。

先輩の人望があったこと、後輩たちから慕われていたことを、改めて実感した。

毎日の練習でカラカラに枯れ切った先輩の声は、いつもの少しハスキーな声がもっともっと際立っていた。

そんな声で響いた先輩の選手宣誓は、誰よりも、何よりもかっこよかった。

 

 

私たちの紅組は負けてしまって、帰り道に先輩に声をかけようとしたけど、先輩の隣には、同じクラスの学級委員を務める女の先輩がいて。

今の先輩を支えられるのは、あの人なんだな、と心に突き刺さった。

 

もう追いかけるのはこれで最後にしようって決めた。

 

 

 

その日、わたしは先輩への想いを、諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

それから半年間、受験生の先輩と、私の接点は何ひとつなかった。

冬季練に駅伝、私の足への負荷は日に日に重くなり、年明けに手術が決まっても、そんな話を先輩にできるわけもなく。

 

やっと顔を合わせたのは、卒業式の日。

正門から列になって歩いて出ていく先輩を、在校生代表として見送る中で、久しぶりに先輩にかけた言葉は、「おめでとうございます」の一言。

今まで使ったことのない敬語。

 

先輩との距離を、絶対に越えられることのない距離を、感じた半年間。

もうその頃には、胸を引き裂かれるようなあの気持ちは残っていなかったけど、先輩の進学先は先輩の口から聞きたかったし、部活の話も、生徒会の話も、テストの話も、聞いて欲しかったよ。

でも、それは全部、消さなきゃ生きない気持ち。

だって明日から先輩はこの学校の生徒じゃないんだから。

そう思っていたら、前みたいに親しみを持った言葉は出てこなかった。

 

後から聞いたら、私が声をかけたことすら気づいてなかったみたいだけど。

本当に、意識する対象にすらなれていなかったことを痛感して、今でもつらいんですよね、ちゃんと。。。

 

 

 

こうして、先輩は、中学校を卒業し、地元から電車で一時間もかかる巨大私立高校に入学していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩への気持ちも傷跡も薄れてきた、中学2年、夏の終わり。

 

 

突然先輩が家に来てくれた。

 

 

 

 

 

 

お互いの親づてに連絡があり、昔もらった物のお返しに渡したいものがあるから、とのこと。

私は何も先輩に渡していないのに。

 

嬉しいとか舞い上がったとか、そんなものよりもとにかく頭に?が100個くらい浮かんだ状態で、まさに心ここに在らず状態で、先輩を待っていたと思う。

正直、あんまり記憶は、ない。

 

来てくれたのは、高一の夏に、アメリカに高校の選抜で行った時のお土産を買ってきてくれたからだった。

お返しって親に言ってたのは、なんか恥ずかしかったから、だそうで。

それを聞いたのは最近なんだけど、なんて可愛いんだろうか。

 

 

何を話したかは、全く記憶がない。

でも、ものすごく楽しかったのは覚えてる。

その時の私には、初めての彼氏がいたけど、生徒会長、部活、勉強、本当に毎日が忙しくて、彼氏に対しても余裕がなくて頼りたいなんて思えなかったから、いつだって自分の前を歩いていた先輩に再会できたことは、彷徨っていた自分に与えられた道標のようで、とても救われた。

好きだからとか、片思い相手への再会だからとか、そんな優しいものではなく、純粋に、ただ純粋に、あの夜の出来事が、その後の私を何度も奮い立たせてくれた。

そのくらい、私にとって大事な時間だったと思う。

 

やっぱり先輩はいつだって先輩だ。

 

 

 

あとになって聞くと、私にお土産を買ってきてくれたのは、親づてに、私が毎日色々と頑張っていることを聞いていて、応援してあげようと思ってくれたからだとか。

好きでもない女の子にそんなことしちゃダメだと思うんだけど、後輩だから、家族で仲のいい子だから、とか多分色々と特別なものがあって、励ましてくれたんだと思う。

たとえそれが恋愛感情じゃなかったとしても、やっぱり私はその心遣いが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

あの夜の出来事は、私にとって夢のような出来事だったけど、でもそれっきり、先輩と私の関係は、前のように何もなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時はすぎて、中学3年の秋。

受験生という言葉が重たく心に響くようになった頃。

私はどうしても、先輩と連絡がとりたくなってしまった。

部活動と生徒会活動、私の中学生活の大半を占めていたその二つが無事に幕を閉じ、勉強だけが自分に残って、でも肩の荷がスッとおりた気がした。

短い間だったけど、入学してからの私を純粋に応援してくれていた先輩を自然と思い出していた。

 

 

自分でも、よくそんな勇気が出たと思う。

 

 

先輩のLINEを持っていなかった私は、まず先輩のLINEをゲットするところから始まった。

私が中一の時の陸上部の部長さんと先輩は昔から仲が良く、部長のタイムラインのいいね欄から、先輩のLINEを部長が持っていることは、ずっと昔から知っていた。

陸上部の部長さんも、先輩に負けず劣らず、私ごときが簡単に連絡を取れる方ではなかったけど、先輩に連絡することに比べたら、はるかにハードルは低くて。

自分の代の部長を務めた子と、前々代の部長さんはそれなりに関係を持っていたから、その子に頼んで、まず部長さんのLINEをゲット。お久しぶりですと挨拶をしたあと、実はある先輩の連絡先を知りたいのです、と、ついに打ち明けた。

快く了承してくれて、いざLINEの画面に先輩の連絡先が表示されたときは、本当に感動したなぁ…。

最初はその画面を眺めているだけで、追加するところまで勇気が出なかったんだけど、押すつもりがなかったのに追加ボタンを押してしまって、焦ったのなんのって。

2018年10月14日、朝7時22分。

 

ええい、なんとでもなれ!

 

「coconanaです。覚えてる?突然びっくりした?元気にしてますか?朝早くごめんなさい!」

「この間、ついに生徒会長を引退しまして、あぁ本当に受験生なんだなぁ…って思ったら先輩を思い出して。昨日、部長さんに連絡先を教えてもらいました。」

 

 

めちゃくちゃ緊張したのは今でもよぉぉぉぉぉぉく覚えてる。

そして、意外と早く返信が返ってくるという。

びびる。

 

 

恐る恐るだったけど、先輩とまた繋がれていることが何よりも嬉しくて、同時にずっと緊張していて、返信が返ってくるたびに、まだトークを続けていいのか、迷惑じゃないのか、嫌じゃないのか、いつもいつも考えていた。

その時話したのは、ほんの数日だけで、内容も、受験についての話ばかりだったけど(それを口実に連絡したようなものだから)それでもその数日間、私は浮かれていた、間違いなく。

 

でもそれは同時に、先輩との距離を実感させるものだった。

何回も何回も同じことを言ってるじゃん、って自分でも思う。

でも、先輩が自分との関係を持ってくれることがとても嬉しいのと同時に、その度に、自分の成長を感じると共に、先輩との歳の差を何度も何度も見せつけられていた。

 

高校生という未知の世界で生きている先輩から語られる受験生活は、今まさにその渦中にいる私にとって、受験そのもののしんどさだけではなく、先輩はそこを乗り越えたという事実も私に突きつけていて、一層、つらくなったりもした。

 

結局私は、また連絡をとらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

次に連絡を取ったのは、先輩の誕生日。

LINEの誕生日機能は本当にありがたい。最も、通知なんかなくたって、先輩を追加する前から、部長のタイムラインのいいね欄でチェック済みではあるけれども。

ちょうど、私の私立併願高入試と、公立高校入試の間で、そのタイミングで先輩から応援してもらえたらもっと頑張れるな、という下心もあった。おそらく、ていうか絶対。

 

先輩は全力で応援してくれて、さすがの私も第一志望校入試を目前に控えた状態で、先輩に対して胸をときめかせている暇はなかったから、今までで一番、ある意味冷静に連絡を取り合えたような気もする。

 

そして無事に、私の公立入試は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分的急展開パート1はここから。

 

公立入試が終わった日の夜、先輩からLINEが来た。

 

 

 

「受験お疲れさま!!で、あってるよね😅」

 

 

 

叫んだ。

飛んだ。

文字通り、綺麗に舞い上がった。

 

 

 

なんということでしょう。

先輩から労いの連絡をもらってしまった。

嬉しすぎて、ちゃんとそれが伝わるほどの返信をしてるのが恥ずかしい。

 

そしてそれだけでは終わらない。

 

 

 

「今度お疲れ様会でもやろーで!✌️」

 

 

 

 

えええええええええええええええええ(゚ω゚)

 

 

そんな関係だったっけ!?

そんなこと言ってくれる人だったっけ!?

 

嬉しいを通り越してビビり散らかした、その返信に、先輩はトドメの一撃を放った。

 

 

「COCOが自分自身の力で頑張ってやったんだから本当にすげーよ」

 

 

 

 

 

…放心状態。目を疑った。

先輩が初めて、私の名前を、呼んでくれた。それも呼び捨てで。

嬉しすぎてどうにかなりそうだった。

 

 

神様。どうか、この瞬間の嬉しさが、合格発表まで続きますように。

そして合格も掴み取れますように。

 

もう、四年近く前のことなのにどうしてこんなにありありと思い出せるんだろう。

話がまとまらなくてもどかしいです。

iPhoneの機種変をしても修理をしても、なんとしてもLINEのトーク履歴を消したくなかったのは、先輩との、このやりとりを残しておきたかったから。

受験が終わってから先輩とやりとりしたこの数日間は、もう天にも昇る心地で、夢のような時間だった。

 

そして、迎えた合格発表。

私は無事、第一志望校への合格を決めた。

もちろんすぐに先輩に連絡して、それはそれはとても喜んでくれた。

 

 

 

数日後、スノーボールを大量に作った私は、先輩に、たくさん話を聞いてもらったお礼だとかなんとか、とにかく五個くらい理由をつけて、迷惑だったらいいんだけど…とか保険もかけまくって、ホワイトデーにかこつけてクッキーを渡しに行った。

小さい時に妹ちゃんの誕生日会に呼ばれたことがあったから、先輩の家に行くのは2回目だけど、飼い犬のゴールデンレトリバーに会うのは初めてだし、家にいる先輩を見るのも初めてだし。

それはもう緊張して行ったけど、建前があった分、そしてホワイトデーならお返しを気にされないだろうという気持ちもあった分、純粋にとても楽しかった。話したのはほんの数十分だけど。

 

でもこれで、また先輩と話す理由も口実も無くなってしまう。

少しずつ、LINEの時間も先輩の時間を奪っているのではないかという罪悪感を感じるようになってきて、少しずつ頻度を落としていかなきゃいけないな、と思っていた、ある日。

 

 

先輩が家にやってきた。

 

入学祝いを届けにきてくれたんです。

 

 

ねぇ、一度だって考えたことある?

大好きな、誰よりも憧れた人が、自分の今までで最大の戦いを走り切ってゴールしたと思ったら、最高のプレゼントを持ってきてくれる未来なんて。

 

 

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先輩も愛用しているという、graphの黒いシャープペンシル

部屋で箱を開けてそれを見た時、悲鳴が出た。

そこには私の名前が彫ってあって。私のために、わざわざ買いに行ってくれたんだ。

嬉しすぎて。嬉しすぎて嬉しすぎて嬉しすぎて。

実は苗字の濁点がついてなくて1文字違ったんだけどそんなのどうだっていい。

大好きな人がくれたもの。

先輩とお揃いのシャープペン。

一生使おうと心に決めた。

 

 

 

 

でもね、わかってたんだよね。

先輩の中の私はやっぱりただの後輩で、可愛がってくれているのはただ昔から距離が近かったから、それだけ。

その証拠に、シャープペンのお礼をしたLINEを最後に、先輩とのやりとりは途絶えた。

 

 

高校3年間、正確には大学入試の直前まで、一度も連絡を取ることはなかった。

一度も会うこともなかった。

 

 

 

 

正直言うとね、それから付き合った人も好きになった人もい流。

先輩のことは忘れられなかったけど、先輩だけを見て生きていたわけじゃない。

だから、7年間の片思いっていう言い方はおかしいんじゃないの、って言ってくる人もいたし、実際付き合っていた人に失礼なんじゃないの、って声もあるかもしれない。

 

でも、違うの。先輩だけは違うの。

付き合った人はそりゃみんな違うけど、でも先輩だけは間違いなく別格なの。

なんだろうな、私が唯一、追いかけた人だから。

好きになってもらえないってわかってても、追いかけた人だから。

 

 

これまで付き合った人は、自分のことを最初から気にかけてくれていて、それで仲良くなったり、アプローチされたり、そういう人がほとんどだった。

1人だけちょっと違う人がいたけど、それはまた別の話。あれは、好きとかそういうレベルじゃなくて、友達を超えた好きになっても付き合うべきじゃない人だったと思う。そんな言葉で簡単に片付けちゃいけない人でもあるけどね。

自分から好きになったのは先輩だけだったし、だから誰かと付き合ったり別れたりしても、もっと言えば付き合っている時でさえ、先輩を追いかけているんじゃないか、そう思ったときがあった。確実に。

 

 

いつか、先輩に会えた時に、また、頑張ってる姿を見せられるように。

やっぱりCOCOはすげぇよ、って言ってもらえるように。

ううん、そんな純粋で綺麗な感情じゃない。

早く、とにかく早く、この2歳差を縮められるように、先輩の背中に手が届くように。

ただ、先輩に恥じない自分でいるために、気を張って強がって頑張って踏ん張って、やってきたところがある。間違いなく。

言葉を変えれば、先輩のおかげで耐え抜いてきた。

 

 

 

私と先輩の関係が動き出す、その一通を送ったのは、私なのか、先輩なのか。

 

自分的急展開パート2、もしくはパート1.5は、私が高校3年、先輩が大学2年の、先輩の誕生日に始まります。

 

 

 

 

本当は一つのブログに収めようと思ったんですけど、どうしても収まりそうにないので、ここまで、中学までの話として一旦まとめようと思います。

 

 

高校卒業目前、大学入試から上京、そして3年ぶりの再会の話は、また次の機会に。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

またいつか。