なないろの世界

日々の中で感じたこと。気持ちとか、出来事とか。つらつら書き綴っています。自分でも気づかないうちに、きっと今日も、世界がなないろに染まる。

20回目の春夜

大学3年の春がやってきました。

人生20回目の春です。

 

今年は桜が咲くのが遅くて、3月に一瞬暖かくなったと思いきや、4月に入って冷え込むというよくわからない天候。

 

桜、今ちょうど満開を超えたあたり。

雨に降られて散ってしまったり葉桜になってしまったりした木もあるけど、駅への道も、大学通りも、とても綺麗です。

 

思わずあいみょんの「桜が降る夜は」を歌いたくなる毎日。

 

 

 

 

3年生だって。大学3年生。

早すぎるね。

 

 

 

入学した時3年生だったサークルの先輩たち。

大学生なんだぁ、って思った。

法曹コースの先輩とかね。かっこいいなぁって思った。

 

キラキラの大学生活想像してたのかな。

どんな自分になろうと思ってたんだろう?

 

第一志望の国立に落ちて、第一志望の私立にも落ちて、モチベ底辺でいたのかも知れない。

 

 

 

スキー部に憧れたり。

すこし友達ができたり。

でも結局地元の友達と毎晩寝落ち電話して寂しさを補い合って。

バイト始めて。

久しぶりの友達に会ったりして。

渋谷の大きさに慄いたり。

秋葉原の雑多とした感じに目が輝いたり。

 

 

こうやって思い返すと私は東京にそれなりに慣れたんだなと思う。

池袋なんて、庭よ。

すっぴんパーカーでトコトコしちゃうわよ。

 

 

 

 

 

自分が今大事にしているものがたくさんあるのは、この2年間でたくさんの出会いをして、たくさんの人に大切にされてきたから。

 

幸せな出会いばかりだった。

つらい思いをしなかったわけじゃないと思うけど、幸せな思いばかりしてた。

 

出会う人がみんな、すごく素敵な人たちだった。

 

手放せないもの、夢中になっているものが多すぎて、自分の体と時間が足りない毎日だけど、そんな日々さえ幸せだと思えるよね。

 

 

 

 

 

 

 

早期卒業要件にGPAがあと0.2弱足りないわたし。

さてどうなることやら。

院試も受けなきゃだし、予備試験の勉強だってまだまだまだまだだし。

でもなんか、法曹コースのみんなに会って少し気合い入った今日。

 

あとは取りたかった授業を自由に取れてモチベーションはとても高い。

 

 

 

今しかない大学生活なのよ。

やりたいこと全部やりたいじゃん。

 

 

遊ぶのも大事。

バイトも大事。

たくさんやりたいことある。

勉強だけじゃない。

 

でも勉強が将来につながるから、勉強もしたい。

勉強しなきゃ!って思うけど、楽しいんだもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、全然まとまらないですね。

 

 

 

 

 

やっぱり怠けちゃう気持ちって絶対あって、

高校時代みたいに、毎日カツカツで生きていた頃にはなかなか戻れなくて。

 

早起きできないし。

サボりたくなっちゃうし。

勉強してないのにテレビ見ちゃうし。

 

でも頑張れたはずだから頑張れるの絶対に。

いつかやれる、じゃなくて、今までやれたの。

だから絶対にやれるの。

 

やるしかないの。

 

 

 

 

 

 

ちゃんと睡眠とって、自分に今何が大事なのかをしっかり見極めて、大切なものを失わないように。

 

これから先の出会いのひとつひとつを大切に、嫌な出会いばかりじゃないって、忘れないで。

 

 

 

陸上、勉強、バイト、恋愛、

すべてにおいて全力で。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして大切な人たちを大切にできますように。

 

 

 

 

 

2024年度、がんばっていこう!

 

寝れない夜のきもち

全然書いてなかったな。

久しぶりにアプリを開いたらまずログインするところからスタート。

まさかのiPhoneに私のアカウントを忘れられるレベルになっていましたよ。とほほ。。。

 

特に何がってわけじゃないんだけど、色々あって寝れなくて、なんか、スマホ片手に真っ暗な部屋の中でブログ書くという。

つれづれなるままに。

 

 

ひとつ言うと、あれね、今日、父親が出張で東京に来てて、毎回恒例私の一人暮らしの家に泊まっていくという。

私のバイト先で飲んで食べてそれはもう気持ちよさそうにぐーすかぴーすか………

 

 

なぁんてかわいいものじゃなくて、いびきのうるさいことったらありゃしない。うるせぇ。

私が寝れないの絶対お父さんのせいだわ。

まったくもう。

 

 

 

 

 

 

彼氏にね。会いたいね。

 

 

 

 

 

 

急にどうした。

 

 

 

 

 

去年の、ちょうど一年前に書いてた先輩のこと。

 

まぁ別れたんですけど。

 

いま1番、今までで1番、なんだったんだろ???って思うくらい、全くなんとも思えないレベルで冷めちゃってるんですけど。

 

自分が怖い。

 

むしろ夢に出てきて嫌な感じ。ほんと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今誰よりも何よりも大事にしたい存在がいる。

 

陸上サークルの後輩くん。

大事な大事な、大切な子。

可愛くて愛しくて仕方ない。

 

この子に会うために上京したのかな、

この子は私に会うために上京したのかな、

なんかそんな馬鹿みたいなことを考えちゃうくらい大好き。

 

毎日、3ヶ月間ほぼ毎日、うちにいる。

 

好きすぎる。

 

好きしか出てこない。

 

なにこれただの惚気じゃん。

 

ほんとに彼氏がいないと寝れなくなっちゃったのかな私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか最近ね、自分が消えちゃう気がして。

自分の未来が見えない。

 

頑張ってる自分。

1ヶ月先なら見えるけど、検察官目指して勉強してたはずの自分が、試験に受かって大学院で勉強して司法試験受けてちゃんと検察官になってる未来がわからない。

そこを目指してここまできたのに、ここまではちゃんと見えてたのに、大丈夫?

 

 

 

確かに私第一志望の国立に受かって勉強してる未来が、見えてるようで見えてなかった。

 

 

 

うわぁこの私立大学かぁ……。

 

 

 

そんな気持ちで、ドタバタで進学決めたから、なんかもうその頃のことちゃんと思い出せないし。

 

じゃあでも本気で国立目指してたのかな?

いけると思ってたのかな???

どういうつもりで大阪に行ったのかな?あの日。

 

 

いろいろよくわからない。

だから今もわからない。

 

ちゃんと、10年後の自分、生きてるのかな。

 

 

 

こんなに大事な子ができて、仲間がいて、頑張る環境もあって、だけど、なんか、なんとなく過ぎていく日々に紛れて大事なものをどんどん失って最後は自分も何かに紛れて消えていくような。

 

 

 

だからちゃんと書いておく。

何かあったらこれ読んでもらえるように。

 

だいすきなひとへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたがいたら、それでもうぜんぶいいやってなる。

 

知ってる?

私こんなに誰かにのめりこんだことないよ。

こんなに満たされて、怖くなくて、ドキドキハラハラじゃなくて、だけど幸せで、愛されてるのに愛したくて、重くて重くて仕方ないのに幸せで私も重くなって、なんて。

 

 

 

 

勇真くん。

 

愛しい名前。

 

離したくないけどきっといつか離れる。

 

そんな気がする。

 

 

 

こんなにずっと一緒にいたいのに、わたし、勇真くんといる未来がちゃんと見えない。

 

だから怖い。怖くて仕方ない。

 

一緒にいたら自分もダメになる気がする。

 

いつか別れを切り出す気がする。

 

こんなに好きなのにね。

 

ごめんね。

 

 

きっとずっと好きだけど好きだから一緒にいられないかもしれない。

 

 

ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛してるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出逢えてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

伸ばした手が届くまで。①

思い返してみても、好きになったきっかけはなんだったのか、もうよくわからない。

ただ、気づいた時には追いかけてた、ただひたすらに。

 

 

これは、私が片想い7年目にしてやっと掴み取った大好きな大好きな人の話です。

 

 

 

 

弟の友達のお兄ちゃん。

私とは2歳差で、保育園、小学校、中学校の先輩。

親同士は飲み友なほど仲良し。

家は徒歩5分の距離。

 

考えれば考えるほど、なかなかに近くにいたんじゃないかって、思える。

でも、わたしには誰よりも、なによりも遠い存在だった。

 

 

小学校の頃に遊んだり話したりした記憶は、今はほとんどなくて、ただ漠然とした記憶として残っているのは、とても優しかったということ。弟の同級生である妹ちゃんを溺愛していて、毎年届く年賀状は、2人が仲良さげにくっついている写真ばかりだった。

同じ長子なのに、わたしはこんなふうに弟や妹に優しくできてないような気がして、自分の言動を見直さなきゃって思っていたし、同時に、そんなふうに素敵なお兄ちゃんをしている先輩を尊敬していた。

 

でも多分、今思うと、あの時感じていた感情は、自分への恥じらいとか先輩への尊敬とか、そんなものではなくて、羨ましさだったと思う。

先輩の妹が、ただひたすらに羨ましくて、あの目線、あの愛情が自分に向いたらどんなにいいだろうって。

姉として生まれた自分にはない、兄の存在が、とてつもなく羨ましかった。

 

あんなお兄ちゃんが欲しい。

私が、もうどうしたって叶うわけのない、そんな願いをお母さんに言い始めたのは多分、先輩のせいだ。

 

 

 

中学に入学して、3年生の先輩と、1年生の私は、そこで初めてしっかりと再会した。

お互いをはっきりと認識したのも、多分その時だった。

 

後から聞いた話によると、先輩が中1の時に、小学校に登校中の、それはそれは元気な私を、毎朝見かけていたらしい。

会うと、いつもしっかり挨拶していた私を、いい子だなぁと思ってみてくれていたとか。

なにそれ、なんでそんな最高な思い出になりそうな記憶を私はこれっぽっちも憶えていないの…。

 

中学に入って話す機会が格段に増えたのは、登下校の時間があったからだと思う。

陸上部の私も、バスケ部の先輩も、朝練があったから、割と多い頻度で、登校が重なって、そうするといつも話しながら学校に行ってくれた。

帰りの時間も重なることが多くて、そうすると一緒に帰ってくれたし、最初はタメで話すか敬語にすべきか迷っていたけど、気づいたらガンガン話している自分がいて。

家を出て、先輩と合流する地点で、いつもワクワクとドキドキと、なんとも言えない感情でその曲がり角を見ていたのはよく憶えてるな。

長い坂を下るときに、ずっと先に先輩の姿が見えた時は、迷いもせずダッシュして、おはよーーーーーっっっ、って追いかけた。

そしたら数日後、私が坂を下っていたら、同じように先輩が後ろから追いかけてきてくれた。

ものすごく、ものすごくものすごく嬉しかった。

 

 

中学に入って変わったことは他にもある。

先輩の周りの人や、先輩の人柄を知る機会が増えたこと。

というかむしろそれまでは、妹ちゃんや妹ちゃんの友達、つまり、先輩より遥かに小さい子供たちといる時の先輩しか、知らなかった。

 

同級生や後輩といる時の先輩は、優しくてかっこいい先輩そのもの。

男の先輩たちとじゃれ合う姿、女の先輩たちと楽しそうに話してる姿、バスケ部の後輩男子に囲まれて、馬鹿にされたりしたりしながら居残ってる姿。

いつも先輩の周りには誰かがいて、人に囲まれている先輩は人望があるんだろうなって、すぐにわかった。

私が憧れていた陸上部の部長さんとも仲が良くて、いいなぁって思ったり。

どっちに対してだろ?多分どっちに対しても羨ましかったんだろうな。

 

 

そんな先輩を見ているうちにね。

気づいちゃったの。

わたしなんかが、届くはずのない存在なんだって。

 

中学1年生から見た3年生は本当に大きくて、大人で。

まだ、先輩後輩の上下関係の世界に飛び込んだばかりの私が、部活動が始まったばかり、デビュー戦の試合を経験したばかり、期末テストを経験したばかり、生徒会活動に参加したばかりの、中学1年生の私が。

部活動引退目前で、受験期がどんどん近づいていて、生徒会も代替わりで、全てが中学最後になる先輩に、追いつけるわけなくて。

 

隣に並びたいだなんて、思ったって叶うわけがなかった。

 

女子の先輩たちが本当に羨ましかったのを憶えている。

なんの抵抗も戸惑いも引け目もなく、ただ一つ、年齢が同じというだけで、先輩の隣に並べるということ。

それがどれほどの特権であることか、何にも気づいていない、先輩の周りにいる女の先輩たちが、ものすごく羨ましくて、同時に妬ましくて、悔しくて、悲しかった。

 

わたしを可愛がってくれるのは、話しかけてくれるのは、小さい頃からの知り合いだからというだけ。それ以上のなんでもない。

ただ、後輩として仲良くしてくれているだけ。

ほんの少しでも意識してくれたらって思っても、そんなの気づいてさえくれない。

後輩であることのハンデは、ほんの2歳差というその数に対して、とてつもなく大きかった。

 

 

それを何よりも実感したのが、体育祭だった。

 

中学初めての体育祭。

学級委員として、学年委員として、初めて臨んだ体育祭で、先輩はなんと私の組の紅組応援団長を務めた。

先輩の人望があったこと、後輩たちから慕われていたことを、改めて実感した。

毎日の練習でカラカラに枯れ切った先輩の声は、いつもの少しハスキーな声がもっともっと際立っていた。

そんな声で響いた先輩の選手宣誓は、誰よりも、何よりもかっこよかった。

 

 

私たちの紅組は負けてしまって、帰り道に先輩に声をかけようとしたけど、先輩の隣には、同じクラスの学級委員を務める女の先輩がいて。

今の先輩を支えられるのは、あの人なんだな、と心に突き刺さった。

 

もう追いかけるのはこれで最後にしようって決めた。

 

 

 

その日、わたしは先輩への想いを、諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

それから半年間、受験生の先輩と、私の接点は何ひとつなかった。

冬季練に駅伝、私の足への負荷は日に日に重くなり、年明けに手術が決まっても、そんな話を先輩にできるわけもなく。

 

やっと顔を合わせたのは、卒業式の日。

正門から列になって歩いて出ていく先輩を、在校生代表として見送る中で、久しぶりに先輩にかけた言葉は、「おめでとうございます」の一言。

今まで使ったことのない敬語。

 

先輩との距離を、絶対に越えられることのない距離を、感じた半年間。

もうその頃には、胸を引き裂かれるようなあの気持ちは残っていなかったけど、先輩の進学先は先輩の口から聞きたかったし、部活の話も、生徒会の話も、テストの話も、聞いて欲しかったよ。

でも、それは全部、消さなきゃ生きない気持ち。

だって明日から先輩はこの学校の生徒じゃないんだから。

そう思っていたら、前みたいに親しみを持った言葉は出てこなかった。

 

後から聞いたら、私が声をかけたことすら気づいてなかったみたいだけど。

本当に、意識する対象にすらなれていなかったことを痛感して、今でもつらいんですよね、ちゃんと。。。

 

 

 

こうして、先輩は、中学校を卒業し、地元から電車で一時間もかかる巨大私立高校に入学していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩への気持ちも傷跡も薄れてきた、中学2年、夏の終わり。

 

 

突然先輩が家に来てくれた。

 

 

 

 

 

 

お互いの親づてに連絡があり、昔もらった物のお返しに渡したいものがあるから、とのこと。

私は何も先輩に渡していないのに。

 

嬉しいとか舞い上がったとか、そんなものよりもとにかく頭に?が100個くらい浮かんだ状態で、まさに心ここに在らず状態で、先輩を待っていたと思う。

正直、あんまり記憶は、ない。

 

来てくれたのは、高一の夏に、アメリカに高校の選抜で行った時のお土産を買ってきてくれたからだった。

お返しって親に言ってたのは、なんか恥ずかしかったから、だそうで。

それを聞いたのは最近なんだけど、なんて可愛いんだろうか。

 

 

何を話したかは、全く記憶がない。

でも、ものすごく楽しかったのは覚えてる。

その時の私には、初めての彼氏がいたけど、生徒会長、部活、勉強、本当に毎日が忙しくて、彼氏に対しても余裕がなくて頼りたいなんて思えなかったから、いつだって自分の前を歩いていた先輩に再会できたことは、彷徨っていた自分に与えられた道標のようで、とても救われた。

好きだからとか、片思い相手への再会だからとか、そんな優しいものではなく、純粋に、ただ純粋に、あの夜の出来事が、その後の私を何度も奮い立たせてくれた。

そのくらい、私にとって大事な時間だったと思う。

 

やっぱり先輩はいつだって先輩だ。

 

 

 

あとになって聞くと、私にお土産を買ってきてくれたのは、親づてに、私が毎日色々と頑張っていることを聞いていて、応援してあげようと思ってくれたからだとか。

好きでもない女の子にそんなことしちゃダメだと思うんだけど、後輩だから、家族で仲のいい子だから、とか多分色々と特別なものがあって、励ましてくれたんだと思う。

たとえそれが恋愛感情じゃなかったとしても、やっぱり私はその心遣いが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

あの夜の出来事は、私にとって夢のような出来事だったけど、でもそれっきり、先輩と私の関係は、前のように何もなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時はすぎて、中学3年の秋。

受験生という言葉が重たく心に響くようになった頃。

私はどうしても、先輩と連絡がとりたくなってしまった。

部活動と生徒会活動、私の中学生活の大半を占めていたその二つが無事に幕を閉じ、勉強だけが自分に残って、でも肩の荷がスッとおりた気がした。

短い間だったけど、入学してからの私を純粋に応援してくれていた先輩を自然と思い出していた。

 

 

自分でも、よくそんな勇気が出たと思う。

 

 

先輩のLINEを持っていなかった私は、まず先輩のLINEをゲットするところから始まった。

私が中一の時の陸上部の部長さんと先輩は昔から仲が良く、部長のタイムラインのいいね欄から、先輩のLINEを部長が持っていることは、ずっと昔から知っていた。

陸上部の部長さんも、先輩に負けず劣らず、私ごときが簡単に連絡を取れる方ではなかったけど、先輩に連絡することに比べたら、はるかにハードルは低くて。

自分の代の部長を務めた子と、前々代の部長さんはそれなりに関係を持っていたから、その子に頼んで、まず部長さんのLINEをゲット。お久しぶりですと挨拶をしたあと、実はある先輩の連絡先を知りたいのです、と、ついに打ち明けた。

快く了承してくれて、いざLINEの画面に先輩の連絡先が表示されたときは、本当に感動したなぁ…。

最初はその画面を眺めているだけで、追加するところまで勇気が出なかったんだけど、押すつもりがなかったのに追加ボタンを押してしまって、焦ったのなんのって。

2018年10月14日、朝7時22分。

 

ええい、なんとでもなれ!

 

「coconanaです。覚えてる?突然びっくりした?元気にしてますか?朝早くごめんなさい!」

「この間、ついに生徒会長を引退しまして、あぁ本当に受験生なんだなぁ…って思ったら先輩を思い出して。昨日、部長さんに連絡先を教えてもらいました。」

 

 

めちゃくちゃ緊張したのは今でもよぉぉぉぉぉぉく覚えてる。

そして、意外と早く返信が返ってくるという。

びびる。

 

 

恐る恐るだったけど、先輩とまた繋がれていることが何よりも嬉しくて、同時にずっと緊張していて、返信が返ってくるたびに、まだトークを続けていいのか、迷惑じゃないのか、嫌じゃないのか、いつもいつも考えていた。

その時話したのは、ほんの数日だけで、内容も、受験についての話ばかりだったけど(それを口実に連絡したようなものだから)それでもその数日間、私は浮かれていた、間違いなく。

 

でもそれは同時に、先輩との距離を実感させるものだった。

何回も何回も同じことを言ってるじゃん、って自分でも思う。

でも、先輩が自分との関係を持ってくれることがとても嬉しいのと同時に、その度に、自分の成長を感じると共に、先輩との歳の差を何度も何度も見せつけられていた。

 

高校生という未知の世界で生きている先輩から語られる受験生活は、今まさにその渦中にいる私にとって、受験そのもののしんどさだけではなく、先輩はそこを乗り越えたという事実も私に突きつけていて、一層、つらくなったりもした。

 

結局私は、また連絡をとらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

次に連絡を取ったのは、先輩の誕生日。

LINEの誕生日機能は本当にありがたい。最も、通知なんかなくたって、先輩を追加する前から、部長のタイムラインのいいね欄でチェック済みではあるけれども。

ちょうど、私の私立併願高入試と、公立高校入試の間で、そのタイミングで先輩から応援してもらえたらもっと頑張れるな、という下心もあった。おそらく、ていうか絶対。

 

先輩は全力で応援してくれて、さすがの私も第一志望校入試を目前に控えた状態で、先輩に対して胸をときめかせている暇はなかったから、今までで一番、ある意味冷静に連絡を取り合えたような気もする。

 

そして無事に、私の公立入試は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分的急展開パート1はここから。

 

公立入試が終わった日の夜、先輩からLINEが来た。

 

 

 

「受験お疲れさま!!で、あってるよね😅」

 

 

 

叫んだ。

飛んだ。

文字通り、綺麗に舞い上がった。

 

 

 

なんということでしょう。

先輩から労いの連絡をもらってしまった。

嬉しすぎて、ちゃんとそれが伝わるほどの返信をしてるのが恥ずかしい。

 

そしてそれだけでは終わらない。

 

 

 

「今度お疲れ様会でもやろーで!✌️」

 

 

 

 

えええええええええええええええええ(゚ω゚)

 

 

そんな関係だったっけ!?

そんなこと言ってくれる人だったっけ!?

 

嬉しいを通り越してビビり散らかした、その返信に、先輩はトドメの一撃を放った。

 

 

「COCOが自分自身の力で頑張ってやったんだから本当にすげーよ」

 

 

 

 

 

…放心状態。目を疑った。

先輩が初めて、私の名前を、呼んでくれた。それも呼び捨てで。

嬉しすぎてどうにかなりそうだった。

 

 

神様。どうか、この瞬間の嬉しさが、合格発表まで続きますように。

そして合格も掴み取れますように。

 

もう、四年近く前のことなのにどうしてこんなにありありと思い出せるんだろう。

話がまとまらなくてもどかしいです。

iPhoneの機種変をしても修理をしても、なんとしてもLINEのトーク履歴を消したくなかったのは、先輩との、このやりとりを残しておきたかったから。

受験が終わってから先輩とやりとりしたこの数日間は、もう天にも昇る心地で、夢のような時間だった。

 

そして、迎えた合格発表。

私は無事、第一志望校への合格を決めた。

もちろんすぐに先輩に連絡して、それはそれはとても喜んでくれた。

 

 

 

数日後、スノーボールを大量に作った私は、先輩に、たくさん話を聞いてもらったお礼だとかなんとか、とにかく五個くらい理由をつけて、迷惑だったらいいんだけど…とか保険もかけまくって、ホワイトデーにかこつけてクッキーを渡しに行った。

小さい時に妹ちゃんの誕生日会に呼ばれたことがあったから、先輩の家に行くのは2回目だけど、飼い犬のゴールデンレトリバーに会うのは初めてだし、家にいる先輩を見るのも初めてだし。

それはもう緊張して行ったけど、建前があった分、そしてホワイトデーならお返しを気にされないだろうという気持ちもあった分、純粋にとても楽しかった。話したのはほんの数十分だけど。

 

でもこれで、また先輩と話す理由も口実も無くなってしまう。

少しずつ、LINEの時間も先輩の時間を奪っているのではないかという罪悪感を感じるようになってきて、少しずつ頻度を落としていかなきゃいけないな、と思っていた、ある日。

 

 

先輩が家にやってきた。

 

入学祝いを届けにきてくれたんです。

 

 

ねぇ、一度だって考えたことある?

大好きな、誰よりも憧れた人が、自分の今までで最大の戦いを走り切ってゴールしたと思ったら、最高のプレゼントを持ってきてくれる未来なんて。

 

 

f:id:Coconana:20221007002051j:image

 

先輩も愛用しているという、graphの黒いシャープペンシル

部屋で箱を開けてそれを見た時、悲鳴が出た。

そこには私の名前が彫ってあって。私のために、わざわざ買いに行ってくれたんだ。

嬉しすぎて。嬉しすぎて嬉しすぎて嬉しすぎて。

実は苗字の濁点がついてなくて1文字違ったんだけどそんなのどうだっていい。

大好きな人がくれたもの。

先輩とお揃いのシャープペン。

一生使おうと心に決めた。

 

 

 

 

でもね、わかってたんだよね。

先輩の中の私はやっぱりただの後輩で、可愛がってくれているのはただ昔から距離が近かったから、それだけ。

その証拠に、シャープペンのお礼をしたLINEを最後に、先輩とのやりとりは途絶えた。

 

 

高校3年間、正確には大学入試の直前まで、一度も連絡を取ることはなかった。

一度も会うこともなかった。

 

 

 

 

正直言うとね、それから付き合った人も好きになった人もい流。

先輩のことは忘れられなかったけど、先輩だけを見て生きていたわけじゃない。

だから、7年間の片思いっていう言い方はおかしいんじゃないの、って言ってくる人もいたし、実際付き合っていた人に失礼なんじゃないの、って声もあるかもしれない。

 

でも、違うの。先輩だけは違うの。

付き合った人はそりゃみんな違うけど、でも先輩だけは間違いなく別格なの。

なんだろうな、私が唯一、追いかけた人だから。

好きになってもらえないってわかってても、追いかけた人だから。

 

 

これまで付き合った人は、自分のことを最初から気にかけてくれていて、それで仲良くなったり、アプローチされたり、そういう人がほとんどだった。

1人だけちょっと違う人がいたけど、それはまた別の話。あれは、好きとかそういうレベルじゃなくて、友達を超えた好きになっても付き合うべきじゃない人だったと思う。そんな言葉で簡単に片付けちゃいけない人でもあるけどね。

自分から好きになったのは先輩だけだったし、だから誰かと付き合ったり別れたりしても、もっと言えば付き合っている時でさえ、先輩を追いかけているんじゃないか、そう思ったときがあった。確実に。

 

 

いつか、先輩に会えた時に、また、頑張ってる姿を見せられるように。

やっぱりCOCOはすげぇよ、って言ってもらえるように。

ううん、そんな純粋で綺麗な感情じゃない。

早く、とにかく早く、この2歳差を縮められるように、先輩の背中に手が届くように。

ただ、先輩に恥じない自分でいるために、気を張って強がって頑張って踏ん張って、やってきたところがある。間違いなく。

言葉を変えれば、先輩のおかげで耐え抜いてきた。

 

 

 

私と先輩の関係が動き出す、その一通を送ったのは、私なのか、先輩なのか。

 

自分的急展開パート2、もしくはパート1.5は、私が高校3年、先輩が大学2年の、先輩の誕生日に始まります。

 

 

 

 

本当は一つのブログに収めようと思ったんですけど、どうしても収まりそうにないので、ここまで、中学までの話として一旦まとめようと思います。

 

 

高校卒業目前、大学入試から上京、そして3年ぶりの再会の話は、また次の機会に。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

またいつか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラストティーンのはじまり

大学に入学して、早3ヶ月半。

 

先日19歳の誕生日を迎えました。

 

一人暮らし始めてから、日付を超えてから寝ることなんて普通になってたのに、なぜか誕生日前日は眠くなってしまい、毎晩電話してる友達と2人、11:20には寝落ちするという始末。

おかげで0時きっかりに競うようにLINEくれた友達には薄情なことをしてしまいました。

でも嬉しかったです。LINEだけで20人以上の小中高の同級生からメッセージをいただきました。大学でも、新しくできた友達にお祝いしてもらったり。

 

誕生日ってだけでこんなに特別な1日になるんだね。

 

わたしもみんなの誕生日、メッセージ送ろうと思いました。

 

でも誕生日って本当は、わたしじゃなくて親に感謝をする日なんだって、聞いたことがあります。

 

命懸けで、痛みに耐えながらわたしを産んでくれた母。

 

予定よりもだいぶ大きくなっちゃったのと、しかも頭が大きかったせいで、何だかよくわからない機会をはめられて引っ張られたみたいで、わたしの頭は。

おかげで生まれてきた時の頭の形は、宇宙人みたいだったとか。

至極真っ当な生活を(?)しているつもりですが、その出生にはいろんなドラマがあったんだろうな。

 

 

ともかく、初めて家族と離れて過ごす誕生日だったけど、ちゃんと充実した1日になりました。

1人で、大学の近くにあるインドカレー屋さんでディナーしちゃった。

リッチなことに1人で1700円。

アルバイト始めたからそのバイト代ということで、自分で出します。

静岡帰る前にまた行きたいなぁ、なんて。

常連客になりつつあります。

オススメです。

 

 

 

 

さて。

 

この3ヶ月半は、本当にあっという間でした。

なんでこんなに早いんだ?っていうくらいあっという間でした。

 

初めての一人暮らし。

自炊、洗濯、掃除、片付け、全部自分で。

どうなっちゃうのかなぁって、正直思ってなくはなかったけど、蓋を開けてみたらまぁ、なんてことはない。

まだ一度もホームシックにもならず、帰りたいとも思わず。

 

でもね、それは、衣食住が保障されていて、月6万の仕送りがあるから。

結局自分は1人で生きていけるわけじゃないんだって実感した期間でもありました。

 

だから、ちゃんと働けるようにならなきゃなって。

まだ、自分の学びたいことを学べていないから、働きたいとはとても思えないけど、でも、ちゃんと働けるようになりたい。ならなきゃ。

 

だから今は、ちゃんと勉強したい。

 

 

わたしが通うことになったのは、国立の第一でも第二でもなく、私立の第一でもなく、完全に滑り止め、受からないなんて考えてもいなかった、つまり行くつもりもなかった、正直に言うと、そういう大学でした。

オープンキャンパスにも行ってなければ、受験にすら行ってない。

共通テスト利用ですんなり合格してしまった。

でも合格通知を見た時も、嬉しさとか安心感とかほとんど感じなかった気がする。

 

最低だな、自分。

 

よく考えたらMARCHの中でもレベル高い法学部だからそんなこと絶対思っちゃいけないはずなのに。

 

でも嬉しくなかったな、あの時は。

 

 

 

 

だけど、今通ってみて思うことは、ここに来て良かったことしか見つからないってこと。

 

大阪に行けたら、それはもう言うことなしだった。

ずっと夢見てた阪大法学部。

大きなキャンパス、立派な法学部棟、楽しそうな関西の雰囲気、商店街。

正直、大阪に通うことしか、想像していなかった。

少なくとも、東京にある大学に通う生活は想像していなかった。

だから、東京に住んで自分がこの大学に通うことに、どういうモチベーションを持って行けばいいのか、最初はわからなかった。

ある意味、もう失うものは何もない、っていう捨て身で乗り込んだ部分もある。

 

 

まさか、豊島区池袋のど真ん中に、あんなに堂々と構えているキャンパスだとは、想像もしていなかった。

 

 

大学ーーーーーーっ、て感じ。(語彙力)

 

 

 

 

最初っから捨て身すぎたのが、まわりまわっていい風吹かせてくれたのかもしれない。

 

上京初日。

初めて入った大学構内で受けた、英語プレイスメンステスト。

要は、クラス分けテストね。

 

 

言い訳をします。

始発の新幹線で大量の荷物を抱えて静岡駅を出てさ。

初めての山手線に1人で乗り込んでさ。

巨大な池袋駅

 

「東口(北)」・・・・・ってどっちだよッッッ!!!

 

…ちなみに大学側の駅出口は西口のC1だったので真逆なんですけれども。ええ。

 

とにかく、そんなバタバタなことを朝からしてて、ようやく辿り着いた大学の外観に圧倒されて、そもそもこんな大都市に来るの初めてだから、朝から圧倒されっぱなしで、そんな精神状態で国立二次以来の長文英語を読めだとか共通テスト以来のリスニングを解けだとか、いや無理だって。

 

 

しっかり寝ちゃいました。

 

 

 

思うに、多分、高校時代及び受験期に鍛えた英語力を以て考えると、相当低い、要はイージーなクラスに入ることになりましたと。

ちょっとは後悔した。悔しいなぁって思った。あんなに頑張ってきたのになって。

 

でも。

そこで出会ったディスカッションのメンバー、わたしも含めて10人が、本当にいいクラスメイトになった。

英語で100分間ディスカッションなんて、高校時代の自分が聞いたら、悶絶する、間違いなく。

でも。今はそれが何にも苦じゃない。

むしろその授業が一番楽しいくらい。

難しいし、最初は緊張したけど、すごく楽しくて、クラスメイトが優しくて。

 

だんだん、みんな違和感を感じ始めたみたいで、1ヶ月経ったあたりで、「なんでcocoこのクラスにいるの?めちゃ英語喋れるよね???」って言われちゃったんだけど。

でも、やっぱ高校で鍛えてきた英語力って嘘をつかないなと思いました。

ぽんぽん単語が出てくる感覚があって。

我ながら感動。

ちょっとレベルは低いのかもしれないけど、わたしの学力の中で一番足を引っ張っていたはずの英語力が、このクラスではみんなを先導していけるんだ!という感動。楽しさ。正直、ちょっといい気分。笑

 

 

でもそこでできた友達が、一緒にご飯食べに行ったり、スイーツ食べに行ったり、要は食べにいく友達なんだけど、仲良くなれたんですよね。

お互い1人でいるのが好きだから、他の講義を一緒に受けるわけでもなく。

毎日ご飯を一緒に食べてるわけでもなく。

でも、今自分が考えてることを話せたり、昔の話をできたり、食べに行っても気まずくなることなく話し続けられる関係って、すごいなって思うんだよね。

 

友達になろうとして仲良くなったわけじゃなくて、ディスカッションを通して何度も会ううちに、気づいたら気が合うことに気づいた、って感じだから、なおさらそれが良かったのかもしれない。

 

大学でできた友達は(3人しかいないけど)わたしを受け入れてくれる大事な友達です。

後の2人は、また日を改めて。

 

 

 

 

 

あれ???

 

いや、本当はね。

本当は、書きたいことがあったんですよ。

この話は全部導入だったはずなんですよ。

でも、なんか今書いてきた話で一旦区切った方が良さそうですね。

 

 

 

というわけで、大変締めが適当ではございますが。

 

大学生活、こんな感じで始まりましたとさ。

 

 

 

部活とかサークルとか勉強とか、

 

陸上とか陸上とか陸上とか、、、

 

書きたいこと本当はあったんだけど、、、、、

 

またの機会にしましょう。

 

 

 

 

 

 

それでは。

Memories 〜陸上③〜

そろそろ、この話題を閉めたいところですね。

本当なら1話完結型で次のテーマに行く予定だったのに、何故か③まで続くという。

 

もう前置きはいいとして書きたいことを書きます。

 

 

 

自分の陸上競技生活は、中学から合わせたら6年間ですが、そのほとんどが怪我との闘いでした。

生まれつき、膝にある半月板の形が大きいという、「円盤型半月板損傷」だったことがわかったのが、小学6年生のとき。

そのときは、走るのを止めれば、膝に溜まった水も抜けたし、ロッキングも外れたし、痛みも引いた。

 

でも、中学生になり部活が始まって、練習量が多くなればなるほど、回復に時間がかかるようになって、痛みがきたら休む、なんてことをしてたらろくに走れないほど、症状が悪くなってしまったんです。

 

 

 

これはもう、手術をしない限り、陸上競技は続けられない。

 

 

 

私の選択は、手術をして、円盤型の半月板を、本来の形に戻す、つまり部分切除してもらうことでした。

 

 

満月版を、半月板へ。

 

 

…なんてふざけられたのは最初で、全治半年が目標。

なかなかしんどい日々でした。

走れないし歩くのもままならないし、みんなには心配をかけてしまう。

でも、幸にしてしっかり傷も治り、リハビリも無事に終わり、中学生での陸上生活は、強い選手とは言えなかったけど、満足を感じる結果で終わることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生活での、陸上。

 

練習量が雲泥の差。

 

入部して1ヶ月も経たないうちに、わたしは、ずっと忘れていた嫌な痛みと腫れに付きまとわれるようになりました。

 

 

ちょっとした段差で、膝の抜ける感覚。

左足をついた時に、一瞬走る電撃のようなしびれ。

伸び切らない膝。

屈伸した時に感じる異様な圧迫感。

 

 

怖かったし、悔しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで私がこんな苦しい思いしなきゃいけないの?

なんで私の膝だけこんなに変なの?

どうして私じゃなきゃダメなの?

走りたくない人なんていっぱいいるじゃん。

私じゃなくていいじゃん。

少なくとも、膝じゃなくていいじゃん。

 

 

 

 

 

いろんなものに理由を探して、悔しくて、情けなくて。

 

 

苦しい練習は、100%の思いで挑んで走り切るから、意味のあるものになる。

きつくても、全力で走るから、意味のあるものになる。

でも私は、最初から、膝が痛くて思いきり走れなくて、だから、苦しくてつらいのが、練習がきついからなのか、膝が痛いからなのか、理性で判断できない。

逃げるように負荷を落とさざるを得ない。

次のメニューを走ったら、もっと悪化するかもしれない、だからやめたほうがいいかもしれない。

 

 

 

本当に純粋にそれだけ?

練習から逃げようとしてない?

 

 

毎日毎日、そんなことを考えた。

 

 

 

 

 

 

先生は、私の状態をすごく気にしてくださって、無理はさせないけど、容赦なくメニューを叩きつけてくれた。

私を特別扱いしないで、見捨てることもしないで、同じように指導してくれるのが本当に嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日の練習日誌のコメントに、こんな言葉があった。

 

 

 

f:id:Coconana:20220321162427j:image

 

 

「力がついている 確実に」

 

 

 

 

嬉しくて。

 

嬉しくて嬉しくて嬉しくて。

 

 

先生にとったらもしかしたら、私への気休めだったのかもしれない。

 

考えすぎだ、ってよく言われてたし。

 

 

 

でも、この一言で、私は救われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校1年の時、私は人生で初めて、自分の力で、自分の種目で、県大会を決めました。

 

 

前日の1500mでは、1人差で県大会を逃して、ものすごく反省した。

仲間や友達に色々な言葉をかけてもらったけど、自分を奮い立たせたのは、ある野球部の子の言葉。

 

 

「敵は自分の中にある」

 

 

ハッとした。

 

苦しい時のその敵はその苦しさに勝てない自分だ。

 

 

 

迎えた、800mの決勝。

今までで1番、最初からとばした。そして耐えた。強気で行くしかないと思った。

 

 

中部6位。自己ベスト更新。県大会出場。

 

 

それはもう、泣いた。

やっと掴んだ。

ついに掴んだ。

 

 

ボロ泣きでした。

陸上のことでしか、高校では泣いたことないけど、それくらい、陸上で泣くことっていっぱいあって。

でもこの時の涙は、怖さとか、勇気とか、覚悟とか、喜びとか、本当にいろんなものがぐちゃぐちゃになって溢れてきて、忘れないと思う。

 

 

 

 

 

そして、迎えた県大会。

 

自己ベスト更新。

初めて、2分30秒を切った。

 

 

 

 

中学の時から、ずっとずっと夢だった。

30秒の壁は、破れなくて。

先生に、「良かったな」って肩を叩いてもらった。

認めてもらえた。

嬉しかった。

ここからだな、って自分で思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも。

 

わたしは、その記録を、その後2年間で超えることは、できなかった。

 

 

駅伝、そして冬季練を超えて、絶対に力がついた自信があり、春の記録会を心待ちにしていたある日。

 

突然訪れた休校。

 

あと2ヶ月で会えなくなってしまう、先輩との練習時間が奪われて。

大好きな仲間との練習時間が奪われて。

 

1人で走る寂しさ。

気持ちの入らなさ。

 

心も体も鈍っていく感覚に、練習を再開する日がだんだん怖くなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

どうやって立て直したのかな、今はもうはっきりと思い出せない。

 

 

再開した学校で、私を迎えたのは、まず、後輩たちの存在。

先輩2人、同級生3人で過ごしていた女子の部室に、6人の後輩が入ってきたことが、最初はとても怖かった。

自分たちのテリトリーに入ってこないで、って思って、受け入れられなかった時もあった。

 

 

でもそんなとき、思い出したのは、1年前の先輩の姿。

 

今では毎日朝から夕方まで練習を共にする2人の先輩たちは、1年前、そこまで友好的ではなくて。

特に1人は、信じられないほどそっけなかったから、わたしは嫌われてる、迎え入れてもらえてない、って思って、結構悲しかったのを、すごく覚えている。

 

 

だけど、夏の合宿が始まる頃には、完全に打ち解けて毎日部室で練習終わりの狂ったテンションで変顔大会をするくらいになってた。

 

 

だから。

この子たちを受け入れることがいつかできるのかな、なんて。

 

 

 

 

わりと早くに、うちとけましたね。

 

 

 

 

長くなっちゃうから書かないけど、後輩との思い出は、ホントにたくさんある。

 

いろんな後輩だった。

個性豊かで、みんな可愛くて、でも一生懸命で、自分とは全然違うけど、わたしは誰のこともちっとも嫌じゃなかった。

後輩6人同士が、お互いを大好きなのもわかっていたから、それも微笑ましくて好きだった。

 

すごい選手なのに私を慕って毎日メニューを相談してくる子がいて、

笑い声がわたしのめちゃくちゃツボな子がいて、

毎日毎日甘いものをよくもまぁそんなに食べるのにほっそいものだわ、羨ましいも憎いも通り越していっそ気持ちいい、なんていう子がいて、

可愛い顔して部室に戻ると眼鏡で毒舌を吐きまくる、私のかつての先輩の妹ちゃんがいて、

大人しそうなんだけど人一倍お洒落で、でもポニーテールがすぐ落ちちゃうからからかわれる子がいて、

 

そしてなにより私がお世話になったのは、マネージャーさん。

 

マネージャーさんのLちゃんにはとってもとっても力をもらった。

 

 

 

後輩より遅い先輩なんてさ、突き放されたりがっかりされたり、見放されたりしたっていいと思うの。

 

怪我でまともに練習できない自分だったから、呆れられてるかもなとか。

 

 

でも。

走れないから用具出ししてる私を、

隅で体幹レーニングしてる私を、

いつまでもグランドで待ってくれてたのが、Lちゃんだったんです。

 

設定タイムをちゃんと守って走れた時とか、速かった時とか、ニコニコで「スゴい速かったですーーーー!」って褒めてくれた。

 

毎日、おつかれさまです、って楽しそうに言ってくれた。

 

Lちゃんいなかったら私は立ち直れてなかったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また話が大きく逸れましたが、そんなこんなで、後輩との出会いがある中で、私は休校期間開けをなんとか乗り切ったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさん語った割にはまとめが雑ーーーーっ

 

 

 

 

 

その年のインターハイはコロナ禍でなくなってしまったけど、代替大会が開かれて、引退してしまった3年生もいたけど、私はその時も県大会を決めたんだったな。

 

あのときは、県に行けたことも嬉しかったけど、一度折れた心がもう一度ここまで走れるようになったことが嬉しくて嬉しくて、泣いた。

 

覚えてる。

 

中学の時からずっとずっと私の前を走っていた双子の同級生がいて、その2人の前で泣き崩れた。

2人が、頑張ったね、ここからだね、って言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

そしてそのまま、スタンド裏の雨天走路で、Kに会って。

 

 

 

ダーーーッ、って、考える間も無く走り寄って。

 

 

 

 

 

 

 

県決まった!!!!

 

 

 

 

 

 

そしたら。

 

 

 

 

 

よっしゃーーーーーー!

 

 

 

 

 

満面の笑みで、ガッツポーズして、一緒に喜んでくれた。

 

 

1年ぶりの、ハイタッチをした。

 

 

 

 

 

本人に言ったことないけど、めちゃくちゃ嬉しかった。

先輩にちょっと冷やかされたけどそんなのどうでもいいくらい嬉しかった。

認めてもらえたと思った。

 

 

その数週間前に、初めてKが呼び捨てで名前を呼んでくれて、それがもう舞い上がるほど嬉しかったんだよね。

 

Kだけじゃない、今までKちゃんとIくらいしか、呼び捨ててくれなかったのに、続々と陸部メンが私の名前を呼んでくれるようになって。

 

 

ホントにホントに嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

まーたー話が逸れたーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜中に書くブログって謎の夜テンで読みにくいですね。

 

拙い文章を読んでくれてありがとうございます。

 

わたしは楽しく書いてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけどそこからは、3年の5月の中部予選まで、わたしはずっと、思い切り走れない日が続いた。

18年間生きてきた中で、1番走れない1年間だった。

 

 

これはもう、間違いなく、人生で1番しんどい時間だった。

 

 

 

夏休み始め、休校で鈍った体をマッハで立て直して乗り切った大会続きの7月の反動が、左膝を襲った。

 

 

 

 

 

 

走行距離0mの、8月1周目。

 

Kちゃんが上裸で走るほど、暑くて死にそうな合宿練を、その苦しさを何も味わうことなくグランドの隅で過ごす。

 

 

 

だけど苦しかった。

 

 

 

苦しさは思い出せないけど苦しかったことは思い出せる。

 

 

 

 

 

 

 

迎えた新人戦。

 

1500mを諦めて1本に絞った800m。

 

0.06秒で予選落ち。

 

 

 

 

 

初めて、Y希の前で泣く。

 

 

嬉しさじゃなくて、悔しさで。

 

 

 

 

静かに泣いたと、自分でも思う。

 

Y希は、無駄なことは喋らずに、でも黙ることなく、わたしを存分に泣かせてくれた。

 

 

この夏から、彼はわたしにとって、仲間兼カウンセラーになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終日、マイルリレー。

 

Mさん、Mちゃん、私、後輩のエースN。

 

余談だけどNとわたしの話をすると間違いなく夜が明けるので後日改めて。

 

 

 

 

自分が県を走れるとしたら、このリレーだけ。

 

わたしを走らせるために、みんなが、全てを出し尽くしてくれた。

 

 

県大会を決める、それも、かなりの好成績で。

 

 

書くまでもないけど、文字通り泣き崩れた。

 

 

 

走るのと、泣くのって、セットなのかな?

 

 

 

 

でも本当に泣いたのはその日じゃなくて、次の日、学校で、先生からの、わたしの試合の反省へのコメントを読んだ時だった。

 

 

今までにない文字数。

いつもなら15〜20字で終わるコメントが、B5ノート5行分あった。

 

昼休みに反省ノートを取りに行って、教室に戻る。

教室で開いた瞬間、コメントの量を見ただけで涙が出てきて、駐輪場にダッシュ

思う存分泣いて、グシャグシャの顔面でとりあえずトイレにこもって、昼休み終了寸前に教室に飛び込んだから、お弁当を食べ損ねた。

 

その日は朝から、他の先生から、「新人戦惜しかったねー」とか声をかけられてもうすでに精神はボロボロで、クラスメイトにも色々聞かれるし、学校の友達の前でなんか絶対泣くもんかと思ってた分、1人になったら歯止めが効かなかったなー。。。

 

 

よく泣いた数日間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして考えると、本当にいろんなことがあったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも自分の陸上人生の中で1番の壁は、高校2年の冬から患った、右足第4中足骨の疲労骨折。

 

 

 

 

 

 

 

 

1ヶ月、2ヶ月、これは本当に何も走れなくなりました。

 

 

いや、わたしは、陸上部なのに全然走ってなくないか?

 

走れなかった時のことを書いてるからこうなるのか。

 

 

 

1番自分的にしんどかったのは、冬季練の1日練が何もできなかったことかな。

 

強くなる理由が、見つからなかった。

 

 

 

 

結局あの時期は、陸ではなく、水の中でトレーニングしてました。

あとはバイク漕いだり。

 

 

2月末に治ったと思ったら、またぶり返して、結局、3年になっても、走れなかった。

走れないまま、インターハイ予選を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにしてたんだろうなって。

高校で全部出し切ろうと思って、膝が痛いのなんてずっと覚悟してたから、ちょっとくらい水が溜まっても、動かなくても、痛くても、物理的に走れるなら走ろうって決めて練習してたはずなのに。

最後に苦しむのはずっと付き合ってきた膝じゃなくて、全然違う、ポッと出の中足骨、しかも疲労骨折かよ、って。

疲労骨折するほど、披露する練習したか?自分。

 

 

なんで私よ。

長距離だけは、休んでる間かマイナスにしかならないのよ。

走った距離が全てなのよ。

 

いっぱいいっぱい書いてた、日記に。

心が腐ってた。自分ではわからないほどはっきりと腐ってた。

 

 

 

腐って腐って腐って、でも仲間のそばにいたいから。逃げられなかった、逃げたかったけど。

 

 

強くなる理由がない自分だったけど、陸上部を離れたくなかったし、最後の最後まで可能性を信じてたかったんだ、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インハイ予選は自分でもびっくりするほどあっさり終わって、だけど悔しさはそこにもうなくて。

 

 

 

私が見てたのはそこじゃなかった。

 

 

 

 

ずっと、決めてたような気がしてた。

 

 

 

 

 

高校駅伝

 

わたしは、11月まで引退しないことを選びました。

 

 

 

 

朝練だけだけど、走ることをもう少し続けた。

けりをつけなきゃいけないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなに大層なものじゃないのかもしれない。

 

ただ、悔しかったんです。きっとそれだけ。

 

怪我ばっかり、走れないことが多かった自分。

いい結果が出なかったことを、練習量が足りないから仕方ないんだって、心のどこかで諦めてる自分。

全部出し切れなかった、やり切れなかった、それを抱えたまこれから生きる自分。

 

 

 

 

このままでいいわけない。

悔しかったから、まだ走ろうと思った。

 

 

そこからの半年間は、信じられないくらい調子が良かった。

 

 

練習量が半分になった分、質が上がってダメージも減って、量は少ないけどわたしにはちょうど良かったのかな。

 

 

中1から陸上やってきたけど、1度も休むことなく半年間練習し続けられたのは、この時が初めてだった。

 

 

 

 

 

 

それに気づいたときは凄く嬉しかったなぁ……

 

 

 

 

 

それができたのは、もちろん練習量のおかげでもあるけど、引退したはずなのにわたしの朝練に付き合ってくれた、MさんとKの存在、そして、後輩たち。

 

支えてくれるみんなのおかげで、最後まで走り続けることができた。

 

 

 

 

 

純粋に楽しかった。

凄く楽しかった。

 

めちゃくちゃしんどかった。

死ぬと思った。

 

 

矛盾してるけど、本当。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の1週間は、なんだかホワホワしていて、1年の時、絶対にこのキツい朝練生活が終わる日なんか来ないって思ってたのに、いよいよやってくる…っていう感慨深さがすごくて。

 

 

今でもちょっと信じられないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅伝は、合同チームを組むことなく、陸部女子5人で走ることができた。

 

2年間、合同チームを組んできたわたしにとって、それは夢のような話で。

 

幸せだった。

 

 

 

 

 

本番は、そりゃ、死ぬほどきつかったけど。

タイムは実はあんまり良くなかったんだけど。

 

1区、飛び出して、オーバーペースになりながらも最長区間をつないでくれた、エースのN。

お互いがお互いの大ファン。

 

3区、わたしが顔面蒼白でタスキを持って走ってくるのを、すごぉぉおぉぉぉおぉおぉぉく、嫌そーーーーーな顔で中継で待っててくれた、S子ちゃん。わたしにはそんなS子ちゃんでも神に見えた。あんなに嫌がってたのに、坂登ってくれてありがとう。

 

4区、短距離(幅跳び)なのに、長距離が速いからってだけで、突如駆り出された1年のSちゃん。でもめちゃくちゃ速かった。

 

5区、コース一周、プレッシャーの中、4人の汗と思いを吸った重い重いタスキをゴールに繋げてくれた、1年の直属の後輩、Rちゃん。

 

 

 

 

みんなのおかげでわたしは最後までやりきれたよ。

 

 

本当に本当に、感謝してる。

 

幸せだと思う。

 

 

やりきったんだよね。とても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして振り返ると、なかなか壮絶だったんですよね。わたしの陸上生活も。

 

特別強い選手だったわけじゃないから、有名でもなんでもないんですけど。

でも胸を張って、全力で走ってきました、って、今なら言える気がする。

 

陸上を通して、出逢った、仲間、先輩、後輩、先生、コーチ、監督、すべての人たち。

 

誰もがこの競技に魅せられて、ここに集まって来たのかなって。

陸上競技、長距離、その魅力を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うわーーーー、書ききった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当はまだまだ書いてないこと山ほどあるんだけど、Memoriesとして今残さなきゃいけない最低限は書けたんじゃないかなぁ。

 

誤字脱字はわかりません。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これから大学生になって、陸上とどう向き合っていくのかは、まだちょっとよくわからないけど、それでもまたいつか、陸上の試合を見て、感動したり、走りたいなって思ったり、なんかそういう生活、できたらいいなって思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2度目ですが、拙い文章ををここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

また読み返して変なところがあったら時々手直しを入れていきます。

 

 

 

 

 

 

 

陸上で学んだことや感じたことは、間違いなく自分の中に何よりも強く残っていて、これを経験したからこの先何があっても大丈夫と言えるほど自分は強くないけど、乗り越えていける気もしています。

 

 

青春の3年間、高校生活の3年間、その6分の5を陸上に捧げて来ました。

 

いろんなことがありました。

 

 

 

 

最高でした。

 

 

 

 

 

 

陸上を始めて良かったな、と思います。

 

 

 

 

 

忘れたくないな。

 

 

 

 

 

 

 

支えてくれた、応援してくれた、ともに競い、ともに練習し、喜び合い、悲しみ合い、笑って、泣いて、走って来た、すべての人たちへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最高の愛と感謝をこめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。

 

 

f:id:Coconana:20220331020307j:image

 


f:id:Coconana:20220331020311j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Memories 〜卒業式&陸上②〜

高校最後の日。

卒業式。

ついに、この日がやってきた。

 

…なんて大層な思いを抱いたかというとそんなこともなく、朝はいつも通り、雨上がりの道を自転車で登校しました。

 

川沿いの家の前で庭仕事してるおじいちゃんに、1ヶ月ぶりくらいに会った。

3年間本当に毎日会ったけど、それも最後かなと思って、進学先を報告。

地元に帰ってきたときに、また挨拶できるといいな。

 

 

先日書いた、陸上②の予定と違うけど、今日は卒業式メインにして、陸上部の仲間のことを語りたいなぁ。

 

ライブ派、ここに降臨。

 

 

 

 

本人のサプライズ演出で、卒業式の答辞は、我らが陸上部の紅三点(?)の1人、Mさんが務めること今朝知るという大事件。

式の練習でMさんの名前が呼ばれたとき、びっくりしすぎて、とりあえずフリーズよね。

先に言ってよーーーー!

 

 

とりあえず、ものすごく、すごくすごく良かった。

 

無事に読めますようにって祈りながら、Mさんとシンクロしたくて、手を組んで目をつぶって全部聞いていたんだけど、Mさんの話す言葉でちゃんと、情景が目に浮かぶの。

授業風景も、部活風景も、楽しかったこと、面白かったこと、つらかったこと、幸せだったこと。

Mさんが語ってくれる高校生活がわたしの高校生活そのものだった。

 

 

そうだよね。一瞬すぎてあっという間に過ぎたような気がするこの3年間だけど、わたしは確かにちゃんと、その日々を過ごしてきたよね。

 

 

 

 

わたしにとって、部活の仲間は、家族よりも長い時間をこの3年間で過ごしてきた人たちです。

なによりも、誰よりも、大事な時間を共に過ごした人たちです。

彼らのためならなんでもできる。

その言葉が、あながち嘘じゃないと思う。

 

f:id:Coconana:20220320104836j:image

 

 

でもね。

すっっっっっっごく、大変だったよ。

 

実際ちょっと自分を褒めるとすると、副部長として結構頑張ってきたのね。特に男子群に対して、頑張ってきたのね。うん。

 

先生と部員の間で挟まれ揉まれ潰されふにゃんふにゃんになること数十回。

腹が立たなかったといえば嘘になるかもしれないけど…それでもみんながすごく好きだった。

 

そばに居られることがわたしの誇りで、強くて面白くて努力家で、ふざけるし馬鹿なときもあるけど本当は陸上に対して貪欲。

そんな、男子9人、女子2人。

わたしを合わせて12人。

最強の、仲間。

 

 

わたしが1番お世話になったのはやっぱり、部長さん。

毎昼休みに、先生に一緒にメニューを聞きに行った部長さん。

彼はすごくいろんなことがあった。

部活辞めたいって思ったこともあったと思う。実際、そう言ってたこともあったね。つらかったはず。

隣で見てたわたしはそれがすごく伝わってきて、でも自分が何もできないこともわかってて。

しんどかったな。

仲間はみんな好きだから、何もできない自分がつらくて。

1人にしたくなかった。

一緒に部活やりたかったから。

 

たくさん悩みながら、最後の試合で最強の布陣で走ってくれた男子リレメン。

間違いなく、あなたたちが最強で優勝だよ。わたしはみんなが大好き。

 

 

あーーーー

 

もう全然うまくまとまらないよ。

 

 

 

部長のIをはじめ、

長距離メンのKiちゃん、Y希、K馬、

短距離メンのK太、Yくん

跳んだり投げたりするK澤、Sちゃん、P。

 

いやもう、最強すぎるよ。

陸部メンしか勝たん。

 

 

2人合わさればコントが始まったり、

ひとりでいるだけでもひとり爆笑劇場やってたり(おもにK澤。絶対に見逃してはいけない見逃したら週テスト落とした並みの後悔)

他にも、いっぱいいっぱい。

 

筋トレで死にそうになった腹筋を部活が終わってからも壊しにくる容赦ない陸部メン9人でした。

 

大好き。

 

 

 

 

 

でもなによりもわたしが救われたのは、女子2人の存在。

 

MさんとMちゃん。

 

…ってこのふたり、アルファベットにすると同じなんだ、、、って今気づく。笑

 

 

私たち3人は、当初5人いた女子メンバーのうち最後まで残ったメンバー。

我らが顧問Dちゃんに最後まで師事した弟子でもある。

それゆえに、あの地獄の日々を乗り越えてきただけに、結束力はそこらのロープよりもよっぽど強い。

 

なんて立派に書いたけどロジックは簡単で、ただ私たちが私たちのことを大好きなだけ。

 

Mさんは投擲。

Mちゃんは棒高跳び

そして私は長距離。

 

お互いに種目が違ったことが、逆に良かったのかもしれないな。100%お互いを尊敬できるから。悔しさとか、嫉妬心とか、ライバル心とか、そういうの持たずに純粋に応援できるから。個人種目の長所だと思う。

 

正直に言えば、なんでもできちゃうMさんを羨ましく思うことがなかったと言えば、ちょっとだけ嘘になるけど、その何百倍も努力してるのも知ってるから、わたしも頑張ろうって気持ちの方がずっと大きかった。

 

出逢った時は、2人がこんなに大きな存在になってくれるなんて思ってなかった。

こんなに好きな人になるとも思ってなかった。

 

JKっぽいことに疎い3人だったから、エモい写真を撮るにも一苦労、ましてやインスタ映えなんかと程遠い世界に生きているような人間で。

憧れはちゃんとありつつも、どうもなんか違うよな、って生活をずっとしてました。

遊びに行ったことなんてほとんどないね。

昨日、一緒に撮ったプリクラ数えたら、昨日の卒業式の制服プリ(これも初)合わせて4枚でした。

もうちょっと遊んでもよかったと思う。。

 

自撮りの数なら結構あるよね。

それもバカみたいなおふざけ写真。

変顔、ギャグ、ネタ、筋肉、、、、

あと、ジャンプ写真の多さも。

 

普通に撮ろうぜ、普通に。笑

 

でもちゃんと映えてる写真もあるはず。

 

 

普段はあまり自分達のプライベートを語らない分、何ヶ月かぶりに語り出すとそれはもう爆弾がドッカンドッカン爆発するように、火種があちこちに散らばっていて、何時間でも、部室で、フードコートで、語り合える私たち。

 

卒業式が終わって3時頃入ったランチで、気づいたら1110円のオムレツで6時まで語っていた、昨日。

その後フードコートに移動してまた1時間語るという荒技。

3人でいると時間を忘れるし、とりあえずお喋りなわたしが喋り倒してそれを楽しそうに聞いてくれる2人に感謝です。

 

青春を部活に捧げている私たちだけど、それなりに恋愛もしているわけで。

その爆弾が爆発するとまぁ収拾がつかなくなっちゃう。

 

楽しかったな、そんな日々も。

 

2人がいてくれたから、わたしはここまでやってこれたし、帰り道にMちゃんとずっと話しながら帰る時間が癒しの時間で、辛いこと苦しいこといっぱいあったけど、本当にどんな時も、その思い出の中に2人がいる。

親友、ってのとはちょっと違う。

仲間、がしっくりくる。

友達、のまえに、もっともっと何か大きな、この2人の存在が、名前のつけられないポジションにいる。

 

わたしは2人にとっての特別でありたいと思う。

わたしにとって2人は間違いなく特別だけど、2人にとってもそうだといいな、って。

 

昨日、式の後に語り合った時、Mさんから手紙をもらい、Mちゃんから写真カードをもらった。

 

 

f:id:Coconana:20220320104459j:image

 

感動。

 

Mさんが手紙書いてくれるなんて!!!

Mちゃんが可愛いデコなんかしてくれるなんて!!!

 

 

2人をなんだと思ってるんですか自分。

 

 

でも、あまり3人で、ザ・青春的なことしてきてないから、3人と言えば陸上、っていうイメージで、映画やドラマで見るキラキラな生活を想像できないのね。

だから2人がわたしのためにこんなものを作ってくれたのは本当に嬉しくて。

同じ女子高生なんだよね、って。

 

3人で無事に卒業を迎えられて、本当によかったね。

 

 

f:id:Coconana:20220320105342j:image

 

 

 

 

わたしは、部活さえあればいい、ってこの3年間でずっと思っていた。

だから部活の仲間がいてくれたら、それで十分だったし、部活の仲間がなによりも大事だった。

 

クラスに居場所がないなんてことはないけど、すごく仲の良い友達がいなくても、部室に来れば2人がいる。グランドに出れば男子軍がいる。

それがどれだけの支えだったか。

 

陸上部は、わたしの高校生活のすべて、だったよ。

 

 

卒業式のあと、部活のミーティングで、ひとりひとりが話をして。

 

面白いんだよね。これが。

12人が話すから長いかと思いきや全くそんなことはなくて。

みんなの話術に圧倒されて永遠に聴いていたくなる。

 

そんなみんなと、もう会えない。

そんなの、寂しい。

 

まだ実感があんまりない。

 

部活を引退して、理系の男子軍とは全然会えなくなった。

でも学校にいるって思うのと、はるか何百キロも離れたところにいるってのとじゃ全然違う。

 

 

みんなはわたしの居場所なんだよ。

 

 

 

陸上部を引っ張っていくのは確かに大変だった。

わたしがいない時の練習が締まらなくて先生に叱られたってのを聞いて、まったくもうっ!って思った。

だけどね。

わたしみんなに支えられてたよ。

大好きだったよ。

きっとみんなが私たちのことを好きな以上に、わたしはみんなを好きだったよ。

 

もう一度言う。

 

 

陸上部は、わたしの高校生活のすべて。

 

 

 

ありがとう、とか、

だいすき、じゃ、

伝えられない。

 

 

 

ねぇ、わたしたち、どうして出逢えたんだろうね。

どうしてみんなは、この高校の陸上部に入ったんだろうね。

やめたいって、思ったこと何回もあったよね。

それでも、みんなは残ってくれたんだよね。

その決断がよかったなって、きっと今は思ってるよね。

入部したことを後悔したかもしれないけど、今はそれが間違ってなかったって、思ってるよね。

みんなにとっても陸上部が、そういう存在であってほしい。

そう信じたい。

 

 

わたしはみんなのために何かできたかな。

わたしも、陸上部の一員として認めてもらえたかな。

 

 

 

1年後、5年後、10年後、20年後、

またどこかで成長した私たちが再開して、

あの頃こうだったねああだったね、

今だから言えるけど自分こんなだったよ、

おまえあの頃はそんなだったのにな、

なんてことを話せたら1番幸せだよ。

 

 

f:id:Coconana:20220320112903j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業式の話が陸上部の話になっちゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとだけ、陸部と関係ない友だちの話。

 

小学校からずっと一緒、小3の時、初めての学級委員で相棒になった、男の子、C。

中学も高校も一緒で、家も近くて。

すっごく仲がいいとは言えない。なぜなら彼が全然女子と喋れないおとなしい子だから。

表面上は。

でもわたしの数少ない気のおけない友達。

大好きな友だち。

 

ずっとLINEが繋がってたんだけど、高2の途中で受験まではLINEしない!って言われちゃって突然音信不通に。

昨日久しぶりに話して、前期試験が不合格だったことを知った。

実はわたしも前期が通らなくて、後期試験を受けた身だった。

そしたらなんと、Cの受けた中期試験の大学とわたしの後期が同じだったと発覚。

 

あのときの、Cの嬉しそうな顔、忘れられない。

ホント⁉︎って。

 

わたしたち、小中高大、ってもしかしたら、同じかもしれない?

すごくない?

すごいよ。

めちゃくちゃ心強いね。

 

Cは、ものすごく勉強できるから、本当ならもっと上の大学だって行けたと思うけど、だからお互いちょっと不本意な部分もあるけど、だからこそ2人で同じ大学に通えたら、嬉しい。

 

 

がんばったね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全然締まらない終わり方になっちゃった。

 

 

Memoriesはしばらく続くので、とりあえず卒業式談はこれで一区切りします。

陸部愛を綴るだけになるので。

どうしても書きたかったらまた書きます。

 

 

最近、訳あってInstagramを始めたこともあり、アクセス数が爆増していて、これ割と知ってる人にも読まれてるかも…?って思い始めた。

 

今まではほぼ読者さんなんかいなかったから、好き勝手書けたけど、これからは気を遣った方がいいのか…?

 

いやでもここは、なないろの世界なので、わたしが書きたいことを書きたいように書きます。

 

読みたい人だけお付き合いいただければ十分でございます。

 

 

 

 

最後に。

わたしを3年間教えてくださった先生方。

陸上部の顧問の先生2人を含め、高校の先生方。

ありがとうございました。

塾に通わない自分にとって高校での教えがわたしの全部を作っていました。

これからも夢に向かって学び続けたい、そう思います。

 

そして、18年間わたしを育ててくれた、両親、祖父母。

お母さん、お弁当ありがとう。

お父さん、アイロンと洗濯ありがとう。

ばあば、お菓子の差し入れいつもありがとう。

おかげでわたしは減量したいのに誘惑と戦わなくてはいけなくてなかなかしんどかったよ。

メンタル鍛えられました。

じいじ、ピアノのレッスンの送り迎えありがとう。

そのほかにも、いっぱい。

 

弟、妹。

私が私大に行くことになるかもしれない、って話をしてたら、

 

「僕、プロ野球選手になるから大学行かないし、すぐ稼ぐから大丈夫!」

 

「私、大学行かないかもしれないし、そもそも高校も決まってないから…いいよ、私立行って大丈夫」

 

と、励ましてくれてありがとう。

 

小学生と中学生に、何気を使わせてるんだ。

 

 

 

みんなの支えがあってこその自分です。

 

無事に卒業できたよ。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静岡、大好き。

 

 

みんな。

 

 

卒業、おめでとう。

 

 

f:id:Coconana:20220320112259j:image

 

 

f:id:Coconana:20220320112331j:image

 

Memories 〜陸上①〜

高校に行く1番の理由、それが、陸上部。

 

好きで好きで仕方なくて嬉々として部活に行った……という覚えは正直、ない。笑

毎晩寝る前は起きるのが嫌で、それは朝練を想像して起きたくなくなるからで。

毎朝300mトラック14周のビルドアップ。

割と入部したての頃からメニュー変わってないな?

1年の頃は、毎日がつらすぎて絶対引退できないと思ってた。引退する日が想像できなくて、この日々をあと1年半続けられる自信なんかなくて。

でもやめようと思ったことは一度もないんだよな。

 

 

やっぱり、夢があったから。

 

 

中学まではほんとに弱っちぃ選手でした。

地区大会突破なんて夢のまた夢。

部活に行ける日も少なくて練習量も十分とはいえなかったし、本気でやってたけど、本当ならもっとできるってずっとどこかで思いながら走ってた。自己ベスト更新も全然できなかった。

 

心の中で言い訳をしてる自分が嫌だった。

でも本当に弱いことを認めるのも悔しかった。

 

高校で陸上を続ける?

口では続けると言いながら、他の部活にも興味が少しあって、本当に続けられるのか、その覚悟はあるのか、自信がなかった。

 

だけど今思えば、それほど陸上のことを考えていて、悔しさを捨てきれずにいた、執着心の塊みたいなあの頃、陸上を止めるなんて選択肢はどこにもなかったと思う。

 

 

出逢ってしまったから。

素敵な先輩と仲間、そして顧問の先生。

 

 

直属の長距離の先輩3人は、中学の時から名前を知っていた、手なんか届くはずのない選手でした。

だけど、中学の頃、その高校の名前を背中に背負って走っているのを、競技場でお見かけしたことはあったことを思い出して。

その時に、隣で走れたらどんなに良いだろうな、この高校に入って追いかけられたらな、って思ったことを、思い出して。

 

Y先輩、M先輩、S先輩。

 

かっこよくて面白くてストイックで強くて大好きな3人の先輩たち。

 

 

今でも覚えてる。

入部初日、3人の後ろを一緒にジョグで走らせてもらえたことが嬉しくて夢みたいで走ってるのに宙に浮いてるみたいな幸せを感じてた。

Y先輩が部室で「LINE交換する?」って言ってくださった時に、呆然としてつい「マジですか…?」って、、、

 

なんて失礼な口のききかたを、、、、、

 

ごめんなさい。

 

 

 

憧れの先輩たちへの想いを綴ったらキリが無いや、本当に。

思い出なんか次から次へととめどなく溢れてきて、どこまでも大好きな人たちで、未だに大事な勝負の前には連絡をさせてもらって、応援してほしいな、って甘えてしまう。

 

自分は全然、その3人には到底追いつかなかったけど、それでもいつでも前を走ってくれるのはその3人の背中だったのかもしれない。

 

 

 

ひとつ、よく覚えている言葉があります。

 

わたしがY先輩に、ずっとわたしの憧れの人だったこと、これからも追いかけたいことを伝えたとき、先輩が「わたしにも、憧れていた先輩がいたよ」とおっしゃったんです。

 

ハッとしました。

 

先輩にも憧れる人がいたんだ。

目標があってそれを目指してずっと走ってるんだ。

先輩は先頭じゃないんだ。

 

でも不思議と、その方が、1番にいるって思ってた先輩よりも強い気がして。

何かを追いかけてる方が、ずっとずっと強い気がして。

 

ちょっとだけ、先輩が憧れている人を羨ましく思ったりもしました。

 

いいな。

わたしもそんなふうに思ってもらえるのかな。

 

 

 

 

 

陸上を高校で再開して頑張った話をするはずが、先輩への愛を語ってる…?

 

 

ダメですね、ライブ派の書き手はこうなっちゃうから。

書くこと決めずに思いのままに書き綴ると脱線が甚だしいことこの上ない。

 

 

この3人は2個上の先輩ですが、何より1番お世話になったのは1個上の先輩方、2人。

 

 

 

このお二人こそ、愛を語ったら夜が明ける…

 

 

 

本当は仲間の話も先生の話もしたいし、、

 

 

ていうかこれでは自分の陸上生活で成長した話はいつ書けるんだ、、、

 

 

先は長くなりそうです。

 

 

 

 

時間は山ほどあるのでゆっくり書き留めていこうかな。

 

 

 

 

最後に、Y先輩から、今年の駅伝の時に、スタバの1杯無料クーポンをいただいたのが、これまた夢のように嬉しすぎたことをここでご報告しておきます。

 

期限が3/31までなので、早く行かねばと思いつつ、合格発表まで行きたくないなぁなんて…

 

 

ありがとうございました。本当に。

 

 

 

 

 

 

やっぱり出逢いって選択肢を広げるし変えるし、何気ないひとつがすごく大事ですね。

 

明日は、大好きな仲間、そして2人の先輩の話をしつつ、2年間の練習の思い出を語れたらなぁと、思っています。

 

予定では。

 

 

 

ライブ派なんで、また脱線するかもしれませんが、どこを走ったとしても、地球は丸いので最後にはオチにちゃんと辿り着く、はず……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また会いたいな。

 

大好きな先輩たちに。